K A M O M A I L

ネコに煮干しをあげてください。

ゴッホとゴーギャン二人展

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恒例の東下り美術館めぐり。
まずは、東京都美術館で『ゴッホとゴーギャン』展

ゴッホとゴーギャン、おそらく名を知らぬ者はない画家二人。後期印象派に位置付けられた彼らは、南フランスのアルルで共同生活をおくりました。

具象を見ながら創造を加えるゴーギャン、具象に心情を加えて描くゴッホ。
作風や性格のちがいからも衝突のたえなかったふたりの共同生活は、たった2ヶ月でおわります。その短い期間でも同じ風景を見、描いた作品たちは、濃密で見ごたえがある。

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ゴッホ『収穫』/ゴーギャン『ブドウの収穫、人間の悲惨』

ふたりの書簡をベースに組み立てられたオーディオガイドが秀逸で、昂奮したゴッホとクールなゴーギャンの対比がおもしろい。(その昂奮もゴッホの病に起因しているわけだが。)

喧嘩別れにおわったのかな・・・と思えた共同生活でしたが、以後もお互いのお互いに対する意識は変わらなかったよう。ゴッホの死後、ひまわりの種をタヒチまで取り寄せて描いたゴーギャンの絵。よい。

ゴーギャン『肘掛け椅子のひまわり』f:id:kamokamokamo:20161127133015j:plain

ゴーギャンってあんまり見たことない、ゴッホも実は超有名な絵(ひまわり、自画像)以外あんまりしらない。しらないことだらけだ・・・と思いつつ、ただ色のつらなりが気持ちがいい。

「長い間、私は、ヴァン・ゴッホについて、書きたいと思っていたが、それはいつか天気のいい日に、気が向いたら実行するだろう。」

ゴッホは、事件の後、正気を取戻して書いている。「ゴーガンと僕とは、根柢ではお互いに理解し合っていたのだ。僕等が少しばかり気が変だったとしても、それが何んだ。それに、僕等は、骨の髄まで芸術家なのだ。絵筆で語ることによって、頭の疑わしさなど否認するのだ」。これは、二人は呪われた画家であった、と言う事である。(略)彼等の絵筆は、めいめいの不幸について、充分に、いや、それを超えて語ったであろう。だが自分の不幸をはっきり映し出している様な相手と、生活の上で、どうしたらやって行けただろうか。(小林秀雄「ゴーガン」)

近代絵画 (新潮文庫 こ 6-5)

近代絵画

気持ちいい絵もそう単純ではない。

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